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第一章「旗守の亡霊」 第二話 「囁きと動揺」

 

 

屯所の夜は重たく深かった。戦の興奮が消えた後の静けさに、隊士たちはそれぞれの小さな不安を隠していた。

 

囲炉裏を囲んで座る一群の中――宜本京雲(よしもときょうん)は、湯を口に運びながらふと皆の話に耳を傾ける。

淡く灯る火のそば、隊士の一人が誰にも聞こえぬほどの小声で言う。

 

「……昨日の夜、千両松で谷太郎さん、旗と一緒に……立ってたんだ。戻ってきた誰かが見たって」

 

「またその話かよ」と別の隊士が気まずそうに笑うが、誰も本気で笑えない。

重苦しい静寂が落ち、囲炉裏端の温度が下がる。

 

京雲は隣の隊士に茶碗を差し出し、「茶飲み話の怖いのは後味だけ。幽霊より怖いのは副長の目ぢからだ」と軽口を叩いた。

一同に小さな笑いと、束の間の安堵が戻る。

 

だが心の奥――京雲は、自分の脈が早くなるのを感じていた。

谷太郎の名、その旗の話。

まるで自分の知らぬところで何かが動き始めている気がしてならない。

 

その夜遅く、寝所に戻った京雲が目を閉じると、またもあの夢が襲う。

 

旗が闇のなかに揺れ、土に片膝をついた谷太郎が遠くから京雲を見つめている。

 

「……まだ、待ってる。――いつまででも、ここで」

 

その声が、音でもなく、ただ心に直接響いてきた。

 

京雲はうなされて目を覚ます。額には汗が滲み、指が知らず旗を掴んでいたかのように震えている。

 

「――なぜ、俺なんだ……」

 

それでも、谷太郎の存在は夜闇のなかでますます鮮やかに京雲の心に焼きついてゆくのだった。

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