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第一章「旗守の亡霊」 第一話 「旗の下で待つもの」

 

 

慶応四年、春。

千両松――墨を流したような薄闇と、そこに広がる草の匂い。空には僅かな夕陽が残り、砲火の哀しい残響がいまだ風に混じる。

 


小林谷太郎は、戦が終わったばかりの静かな野に佇んでいた。

誰もいないはずの場所だ。かつて励まし合った仲間たちは、いまや散り散りとなり、戻る者もいない。それでも彼は「誠」と大書された隊旗を掲げ、帰りをただ待っていた。

 

「ここで待つ。必ず旗の下で再会する。……それが俺の役目だ」

 

谷太郎の手には土と血がついていた。

夕陽に紫が混じる隊旗が、静かに揺れる。

谷太郎は膝を地につき、耳をすます――戦場に散った仲間たちの声を聞くために。

 

そして夜が訪れると、何度も何度も分かれた者の名を心の中で呼び続けた。

自分がずっとここで待てば、いずれ帰ってくる――そう信じて。

 

月が雲間に隠れる。谷太郎の影が、旗とともに長く伸びている。

 

彼は独り言のように、けれど誰かに必ず届くと信じて、ささやく。

「……俺は、約束を守る。旗がここにある限り、みんなの居場所もここにある。もし――声が聞こえたなら、いつでも帰ってきてくれ」

 

静謐な闇。

遠い昔に交わした誓いと、孤独な祈りだけが旗の裾を揺らしていた。

 

谷太郎の瞳には、わずかな希望の光が宿っていた。

その夜、彼の側にはまだ、何も始まってはいない。

けれどその小さな炎が、この後の物語、そして新たな“誠”の伝説の扉をそっと開きかけていた。

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