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第三章「池田屋の叫び」 第一話 雨の足音と未練の地


時は遡り、元治元年京の六月。

重たい雲が低く垂れこめ、池田屋界隈の石畳を激しい雨が休みなく叩いていた。


戦の興奮も冷めやらぬ京の町に、しとしと、ぴちゃり――と規則正しく水が跳ね返る。


夜遅く、屯所へ戻る新選組の一団。

小林谷太郎は、そのいちばん後ろを飄々と歩いていた。

道すがら、仲間の一人の宜本京雲(よしもときょうん)がふいに立ち止まり、肩越しに振り向いた。


「なあ……さっきから、路地の奥で、誰かがずっとこっち見てる気がしてならない」

冗談めかした囁き――けれど、その目には微かな怯えがにじむ。

別の隊士が苦笑して「雨に濡れて物の怪でも出るのか」と和ませようとするが、空気は重く沈んだままだ。


池田屋前に差しかかったとき、不意に強い風が吹き、暖簾がはた、と揺れた。

その一瞬、小林谷太郎の耳に、溶けるようにか細い声が聞こえてきた。


「……帰りたい、帰りたい……」


その場にいた全員にはただ風の音――

“見える力”をもつ小林谷太郎の心の奥深く、その哀切な願いが、まるで実体を伴って流れ込んでくる。


(これは…… この地に残った誰かの、強烈な未練だ)


雨音の向こう、見えぬ眼差しが絡みつくように感じられる。

池田屋事件の夜に斬り伏せられ、家にも還ることなく土に沈んだ浪士たち――

まだこの京の夜路に、語られぬ叫びを残している。


歩を進めるたび、小林谷太郎の胸は重くなっていった。

昨夜までの怪異とは異なるおびただしい“哀しみ”が、じわじわと小林谷太郎を包み込んでいく。


池田屋の石畳。

そのしずくに消えぬ「帰りたい」の声が、静かに、だが痛切に、幕末の雨に響いていた。



※本作品は幕末応援企画で幕末をオマージュした独自のフィクションです。

登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。


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