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第二章「斬られた影」第三話 廊下の谺(こだま)

 

静まり返った夜の屯所。

宜本京雲(よしもときょうん)は、灯火一つ手に、廊下の奥へと静かに歩みを進めていた。眠る者たちの寝息から遠く離れたその先――切腹の間。

 


足音をできるだけ立てずに、一歩、また一歩と床板を踏みしめていく。

闇の深さは息苦しいほどで、僅かな風すら肌の奥に忍び込む。

 

やがて、切腹の間の前に立った。

膝を抱え、うずくまる黒い影。その衣は血に塗れ、顔はただ暗い靄でぼやけている。

 

京雲は一瞬、息を呑む。

(俺が恐れたってどうにもならない――今は、声を聞く時だ)

 

そっと長押に灯りを置き、京雲は静かに膝を折った。

「……ここで、何を思っている?」

 

影は何も答えようとしない。ただ、かすかな呻き声にも似た息遣いが、孤独な夜気と混じり合って漏れるだけ。

 

「お前の声は、消えない。たとえ法度で語れずとも、誰かが覚えている。俺が、必ず聞き届ける」

 

その瞬間、影が微かに動いた。

包帯の端のように、かすかな手が京雲に向かって伸びてくる。湿った空気がひどく重くなり、彼の胸に鈍い痛みが走った。

 

(名も、最期の言葉も、苦しみも。――全部、俺が――)

 

京雲の胸に一筋、冷たくも熱い流れが走る。影の呻きと、かつての剣の音、仲間の叫び。

それらが一瞬で京雲の魂の奥へと押し寄せてきた。

 

じっと耳を澄ませれば、涙と血にまみれたまま、なお消えぬ〝声〟が、静かに彼の心に染み込む。

 

やがて、黒い影は、わずかに肩を震わせ、ふっと薄明かりに溶けてゆく。

床板にそっと滲むしずくは、汗でも血でもなかった。

ただ、京雲だけが、もう後戻りのできない場所へと、静かに一歩を踏み出したのだった。

 

その夜、廊下の隅で風がひとつ大きく鳴った。

けれどそれは、誰にも聞こえぬ、名もなき感謝のための谺だった。

 

 

 

※本作品は幕末応援企画で幕末をオマージュした独自のフィクションです。

登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

 

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